はじめまして。

「きさんじや」 作・演出の千葉勇佑です。

みなとまちMARKETの旅立ち公演として

この作品を今年のはじめから企画運営してきました。

いよいよ本格スタートです。武者震いです。



「きさんじや」は、葛飾北斎とその娘・葛飾応為

そしてそれを取り巻く人々を描いた作品です。

北斎に娘がいて、それが女浮世絵師であったとか

北斎が生涯にした引越しの回数は93回

30もの画号(絵描きとしての名前)をもっていて

90歳の天寿を全うしていることであるとか

「里見八犬伝」で知られる、曲亭(滝沢)馬琴が

実は一時期、北斎と同居していたことであるとか……

「神奈川沖浪裏」は知っていても

そのあたりの、「北斎」そのひとに関しては

実はあまり知られていないことじゃないかと思います。



北斎は、すごい人です。

とんでもない大物に手を出したな、と

そう思う瞬間もあります。ああ、負けてしまう!という感じです。

でも、それはちょっとした勘違いでした。

「神奈川沖浪裏」の高波に、ザバーンと溺れちまっただけでした。

今回描くのは、寛政年間。

北斎がまだ「北斎」と名乗っていない時代のおはなしです。

天災、飢饉、寛政の改革。

歌舞伎は衰退し、写楽が風のように現れ、そして消えます。

北斎はというと、絵師としての稼ぎだけでは食えず

唐辛子を売ったり、暦を売ったりしていたといいます。



そんな時代の狭間で、万年貧乏しながら、

絵を描き続けた、「北斎となる、かもしれない、男」、鉄蔵。

その父親の背中を追い駆けて生きた、娘、お栄。

ふたりの生活、そしてふたりを取り巻く人々の生活は

僕たちが過ごす日々と、「地続き」な気がしてなりません。

それはたとえば、東京と、江戸が地続きなように。

どんなに偉い人もスゴイ人も、地続きの過去の過去には

トウちゃんと、カアちゃんがいて、

オシメ替えて貰ってたんだよなーみたいなことです。



せっかく 「地続きだ!」と思えるのだから

歩いてみない手はない!

神奈川沖の波にザバーンと溺れずに (溺れても立ち上がって)

江戸の、片隅の、ある日々に向かって

これから、テクテク歩き続けるわけです。



まもなく稽古開始。

いい芝居にします!

劇場でお逢いできますよう、ご来場を心よりお待ちしております。




平成二十五年 癸巳 長月吉日

みなとまちMARKET 代表   千葉勇佑






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